| ◇ご挨拶:会長/佐藤 重男 |
我が江戸川台フットボールクラブが1986年(昭和61年)の5月に設立されてから、今年でちょうど10周年を迎えることになりました。
これも、常日頃スポーツを通じて青少年の健全育成に多大なるご理解を賜る流山市をはじめ、流山市サッカー協会並びに少年サッカー連盟、さらに近隣地区の各クラブよりの心温まるご指導とご支援の賜物であり、改めて暑くお礼申しあげます。
我がクラブではサッカーを通じて地域との交流を深め、少年少女のを礼儀正しいスポーツマンとして育成することを目的としてスタートいたしました。サッカーの指導は、当然経験を有するコーチを中心にあたりますが、団体行動のあり方や仲間との協調性あるいは各自の悩み等については指導者はもとより地域の方々や父母の方々と一体となって指導しております。その結果、一人でも多くの仲間とのふれあいを通じて喜びや楽しさを味わえるようになれば、我がクラブの目的は達成され子供達の育成に役立つものと信じて活動を続けております。
しかしながら、昨今の大きな社会問題の一つとして無視できないのが「いじめ」であります。すでに皆様もご存知の事と思いますが、我が流山市内において中学生がいじめによ
って自らの命に終止符を打つという悲劇が起きてしまいました。関係機関が小、中学校と一丸となって対応策並びに信頼回復を検討していますが、それだけでは問題は解決しがたいように思われす。我々並びに地域の方々も一体になって子供達の指導、相談に積極的に参加する必要があると思われます。これがボランティア活動の本来の姿なのかと自問自答し、微力ながら子供達の育成に役立っているのかと日々考えています。
最後に、我がクラブの益々のご指導とご鞭撻を賜りますようお願い申し上げますとともに、関係各位のご健康と、さらなるご活躍を祈念いたしまして、私の挨拶とさせていただきます。 |
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| ◇サッカークラブ誕生:松岡 千草 |
ファミコンに夢中になる子供たち、青空の下で遊ばせようと考えるお母さん達、1986年の春のことでした。そんな親子が少年野球(新川小学校)、少年サッカー(西初石小学校)を見学に行きました。生き生きとして動き回るサッカー少年達。親達は野球の方がよいのではないかと思っていたのですが、子供達はサッカーの面白さ、楽しさをしっていました。
「新川小学校に、新しいサッカーチームを創ったら」という、他クラブの方々の助言に新クラブ創立の気運は一気に高まりました。母親2名、指導者1名で準備を開始し、クラブを創るという話は新川小を駆け抜け、28名(6年1名、5年10名、4年17名)の顔が、6月の小田急ハイツの管理事務所2階に揃いました。子供達を取り囲む父母とともに、江戸川台の地に根を下ろす少年サッカーチームを目指して江戸川台FCがスタートしました。(指導者2名、事務局4名)。
数ヶ月が過ぎ、ペガサスJFCと初めての練習試合で11対0、2回目9対0、大差の試合でしたが、母親達の応援はさも運動会のようで、大いに楽しみ、話が弾みました。その年、流山少年サッカー連盟に6番目のチームとして加盟、翌年(昭和62年)の市内大会
に参加しました。初参加のため、当時のBチームだけが予選リーグに出場し、予選1位になり、その時に監督、親共々涙を流して感動しました。お母さん達の熱意は大変なもので、声援は時として子供を勇気づけ、時には審判の注意も受けました。多くの子供達の参加と指導者、父母の協力により年々発展を遂げることができました。また、市内の各クラブの皆様には様々な御指導を賜り、10周年を迎える事が出来ました。
「サッカーを通じて子供達の健やかな成長を」という目標を目指し、父母、コーチ、そして市内各クラブの協力を得て、さらに頑張っていきます。 |
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| ◇あらたな旅発ちに向けて:監督/柳 健一郎 |
| もう10年が過ぎただなんて信じられない。あれもこれも・・・の思い出が、溢れてきて止められない。本当に子供達と共に笑い、泣き、怒り、怒鳴っている時が多かったけれど皆の顔が次々と目に浮かぶ。自分自身監督を引き受けて、何をどうすれば良いのか自問自答の10年かな。頭を痛めた難問は、色々な動機で集まった子供達を、どうひとつの目標に向けさせていくかも、中には、何も言わなくとも,黙々とボール遊びをしている子もいれば、試合中なのに砂いじりしている子もいる。そんな事はどうでもよい事だ。人はある時、パッと目が覚めるきっかけがある。。そのタイミングを見逃さずにヒントを与える。これなんだ10年の歳月が与えてくれたこと宝ものは、サッカーってスポーツには、個性、感性が大事な要素だということ。それが解ってきたのは最近の事。僕たちが育った環境と、子供達が育っている土壌は、まるっきり違ってきているのに、「なぜお前達は悔しがらない」と言い聞かせても所詮は無理というもの。感性は自ら溢れてくるもの。その様に仕向ける仕事が、コーチングなのかなあと思っている近頃である。でもエドエフの地域ネットワークは、子供を含め大人も巻き込んで
、素晴らしく広がってきたんだ。ボール一個あれば、何もいらない。サッカーが好きであればね。さあ、エドエフの新たな出発ちへ手を取り合おう・・・。 |
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| ◇江戸川台フットボールクラブ10周年を祝して:流山市少年サッカー連盟会長/塚田 和敏 |
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江戸川台フットボールクラブ創立10周年おめでとうございます。流山市内のうち6番目に設立された貴チームが、もう10周年を迎えるとお聞きし、大感激しております。佐藤会長をはじめとし、柳監督、金井コーチ、松岡さんと、創立以来おつきあいさせていただいた方々をはじめととして、クラブ運営にかかわられた皆様に心より敬意を表しますとともに、お喜び申し上げます。
さて、昨今「いじめ」を受けた子供達が、その「いじめ」を理由として自ら命を絶つといった、っても悲しい出来事が頻発しております。そして、このような報道を聞く度に、なぜ、心ない「いじめ」を行う子供達がいるのか?なぜ、「いじめ」に負けてしまったのだろうか?なぜ、周りの子供や大人達が助けてやれなかったのだろうか?と家庭、学校、地域での子育てへの疑問が、次から次に湧いてまいります。他人に対する思いやりの無さ、周りの出来事に無関心で、自分だけよければそれでよいといった風潮が、子供達に悪い影響を与えているとすれば、今を生きる我々大人の責任と言わざるを得ません。学校が駄目なら家庭で、それでも駄目なら地域で。子供達をのびのびと元気に、思いやりを持った人間に育ててゆか
なければなりません。
サラリーマンが休日を返上し、子供達の健全育成のためにボランティア活動を行う、これこそが地域で子供達を育ててゆく姿です。自分の子供のためにコーチを引き受けたお父さんが、子供が卒業した後もなかなか足を洗えない理由のひとつがこの事だと思います。少年少女サッカークラブが存在している事は、子供達にだけでなく、もっともっとその地域に貢献してください。子供達の豊かな未来のために、皆さんに課せられた使命は大変大きなものがあります。とは言いましてもサッカーの楽しみに魅せられた子供達を見ていますと、休日を返上している事など忘れてしまい、子供達と一緒に楽しい時間を過ごしているのが実状かと思います。このことがなければボランティアなど続きません。どうかこれからも、ゲームで助け合うチームワークと、サッカーがうまくなろうとする努力と、厳しい練習に絶える忍耐力を身につけるよう、子供達を育んでいってください。皆さんのご努力は必ずや報われることと信じております。
また、流山市内のチームも心より応援しております。江戸川台フットボールクラブの10周年を心よりお祝い申し上げます。
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サッカー少年に魅せられて:金井 芳夫
私は少年時代にサッカーという言葉を知りませんでした。思い起こせば、小学校の校庭で蹴球(しゅうきゅう)と言って、ボールを蹴り合っていました。ルールは相手方の校庭フェンス(ゴールライン)に当たれば、得点になるという至って簡単なものでした。大人数での、中身はボールの蹴りあい、奪いあいという格闘技の様相でした。凍みる信州の真冬には、打ってつけのスポーツであったように思います。
片道4Kmの通学と、近所の遊び相手のいない少年Yにとっては集団のスポーツをやるすべもなく、一人でできるスポーツに活路を求めてまいりました。夏は山室川で水泳、冬は田んぼのリンクで下駄スケートと頑張っていました。しかし、成長するに従って受験戦争の渦の中に次第に巻き込まれ、スポーツという言葉を置き忘れてしましました。一度だけ、羨ましく思ったことがありました。大学3年生の時学生寮の同室の教育学部生がサッカーをやっていて、いつもストッキングやシューズを手入れしていました。
時過ぎること30周年、サッカー少年、いやサッカー少年という言葉がどこからともなく、聞こえてきた時代でした。息子Kが4年生になり、そろそろ野球でもやらせようと考えグロー
ブを買ってやりキャッチボールの相手になっていました。その気持ちも知らず、息子Kは友達と密かにサッカーの事を語り合い、新たな行動を起こしていました。産声を上げたサッカークラブ江戸川台FCを入会。私は、ただ、ただ見守るだけで、何も出来ませんでした。それからの10年は今までと違った期間でした。何故、足の甲でボールをキック出来るのだろうか。フェイントを使って、次々とディフェンスを躱してゆく。小学生とは思えないプレー。少年サッカーに魅せられていく。俺だってやれば出来そうだという幻想を抱いてみるが、この年では到底無理、20数年前に戻る事の出来ない苛立たしさ。昭和63年春、全日本少年県予選に出場し、5対3の逆転で勝利を収め、2回戦に駒を進めた。対戦相手に「EFCは強いぞ」と言わしめて、柳監督と苦笑いしながら会場のお大穴小学校を後にしました。
3年間もサッカーを見ていると、素人の私にも教えられるのでないかという気持ちがしてきました。アドバイスを時たま与えるのですが、なかなか理解してもらえないのが辛く、特にコーチやってみろと言われるのは閉口しました。試合の時に采配を揮えるのは、初めての経験ですが、大変でもあ
り、得点を入れてくれた時は心の中でやったと一人で叫んだ事も何度かありました。
子供の成長の早さとあどけなさに魅せられて、自分もまだ若いんだと叫びながら歩み続けたいと思います。
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素晴らしきサッカー少年達:大須賀 年彦
平成3年この流山に転居したことをきっかけに、江戸川台FCでコーチを初めてから早6年めを迎えました。
当初は私自身、クラブチームでプレーを楽しんでいた最中であり、子供達との関係はコーチと選手というよりもチームメートと言った方が適切であったかも知れません。(子供達がそう思っていたがどうかは解りませんが。)私が目指すサッカースタイルを実践できるよう練習を重ね、4年生(9期生:1992年)の時には、市内大会において初めて銀メダルが子供達の胸に輝き、共に喜び合ったことが思い出されます。予選から苦しい試合が続いた大会でしたが、チーム一丸となって戦い抜いた結果でした。その後、どしゃ降りの雨の中、泥んこになりながら戦った県知事杯。予選リーグで負け、決勝に行けない悔しさで涙したブロック大会、カレーがおいしかった夏の合宿、真っ青な空の下で思いっきりサッカーをした相馬での3日間、そして卒業生を送る会等々、素晴らしきサッカー少年達が江戸川台FCの歴史と、私の人生を飾ってくれました。
これからも、体力、そして気力の続く限り、次の世代の素晴らしきサッカー少年達と、この江戸川台FCでサッカーを続けて行きます。
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子供とともに:田村 裕一
創立10周年おめでとうございます。私の子供がお世話になった機会にコーチとして参加するようになりました。自分の子供と一緒に三年、卒業してから3年目、6年の月日が流れている事にあらためて驚いています。
入った頃は学年のコーチが私を含めて二人いましたが、一人の方がまもなく転勤でいなくなり一人になってしまいました。当時私は仕事の関係で休みが定まっておりませんでしたが、自分の子供がお世話になっている事もあり、毎週日曜日だけはなんとか休みをとって子供達と練習するようにまりました。それでも年に何回か休みが取れず、他のコーチ、監督にご迷惑をかけた事もありました。
私の子供が卒業した後、自分の体調維持などを考えて引き続きコーチをしてまいりましたが、教えた子供達に町の中で挨拶されると、コーチをやっていてよかったと思います。
今後も、自分の体が動く間は一緒にやって行きたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
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10周年に思う:松井 茂
まさに今、サッカーが話題にならない日はない。三十数年親しんでいる私にすれば、今更との気持ちはあるが、、何となく嬉しい限りである。説明するまでもなく、サッカーは一度グランドに出たら時間内休むことはなく走り周り、監督、コーチの事前の作戦は受けているものの、自分達でその場にあったプレーを瞬時に判断し、チームプレーに徹して行うスポーツで、年代に関係なくできる。世界で一番愛されているのも無理はないと思う。
江戸川台FCが10周年になり、そろそろFC育ちからJリーガ誕生かと思われるような活躍を新聞記事で読むと胸がワクワクする。本人の並大抵ではない努力、心底からサッカーが好きでなければ此処までは行かないと思う。
FCは楽しむサッカーの基本。出発とし、そこから色々な発展する考えを育てる場であればと思う。私も50歳になり、体力の衰えは如何ともし難いが、新たな気持ちと、今までの反省も含め、FCでサッカーを続けてゆきます。最後に、可能性のあるこれからの若者達、頑張ろう、そしてサッカーを楽しもう。
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弱いながらも楽しいチーム:曲木 和郎
5年前子供が1年生の時に、ひまわり幼稚園友達のつながりで江戸川台フットボールクラブに入会した折に私も子供とセットで江戸川台FCのコーチになってしまった訳ですが、それまでは江戸川台FCの存在すら知りませんでした。ペガサスJFCの名は江戸小の関係で知ってはいましたが、少年サッカーがどのような活動を行っているのか知らぬまま、コーチを引き受けた事になります。
それからは、もう新しい経験ばかりでした。それこそ色々な技術書を読みあさり、テレビやビデオでサッカーを見る目を再構築させたりで、それまでの楽しみで自らプレーしていた状況から子供達を指導する立場となった事に少なからぬカルチャーショックを感じたのが思いだされます。
子供達を指導するにあたり、チームを強くしたいという思いは指導者ならば多かれ少なかれ持っていると思います。私も例にもれずチームを強くしたいと、厳しく指導した時期がありましたが、近頃では弱くったって楽しければいいじゃないかと、地域に根差した少年スポーツの在り方の本質がわかりかけてきたように思います。
まあ、そんなこんなで大会などで負けると悔しいけれど、こんな江戸川台FCがなぜか好きです。楽しく やろうよ、サッカーを!
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楽しい、嬉しい、正しいサッカー:吉岡 登喜男
江戸川台FC10周年という時に、私はコーチとして6年目になります。やっと少し江戸川台FCとは?ということに触れることが出来た気がします。会長、監督の言う「楽しいサッカー、嬉しいサッカー、そして正しいサッカー」を目指していることです。「楽しいサッカー」とは、自分の技術を磨くことによって、ボールと友達になれるということだろう。「嬉しいサッカー」とは、結果を問わず自分達がどれだけ楽しくサッカーをプレーするかにある。もちろn勝つ事は負けて嬉しいより倍楽しいに違いない。「正しいサッカー」とは、一口で言うとルールを守ると言うことである。ルールとは一定の制限がある。その中でいかに努力し、成果を出すかにある。毎日々の生活の中にあるものです。
江戸川台FCはこれからも永遠に不滅です。(どこかで聞いたよ?)。皆さん頑張りましょう。
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子供達とともに:山本 敏昭
創立10周年おめでとうございます。これまで苦労された皆様に心から敬意を表します。
さて、私が江戸川台FCに出会ったのは、たまたま長男が練習をさせていただいているのを見ていた時に、監督(柳さん)に「子供達と一緒にサッカーをやりませんか」の一言からでした。それまででは、野球程度はやったことがありましたが、サッカー(私の故郷ではあまりサッカーは盛んではないのです)となると学生の頃ボールを蹴った程度でしたので、かなり戸惑いがありました。まあ、ボール拾いでもやればいいのかな?という軽い気持ちで「よろしくお願いします」と返事をしたのが始まりです。今では、自分の長男より私の方がサッカーに熱を上げている、といった状態で、頭の中は明けても、暮れてもサッカーの事で一杯です。
30歳にしてこのような習い事を始めるとは想像もつきませんでしたし、こんなに熱中できるとは思っていませんでした。これからも、子供達と共にサッカーを通して、勝つ喜び、負ける悔しさ・仲間への思いやりなど多くの経験を一緒に積み重ねて行きたいと思います。
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育自:福永 芳明
今年で江戸川台フットボールクラブが10周年という中で、私自信コーチとして5年間の歳月が過ぎ、改めてチームの年輪というものを子供、コーチ、事務局、、父兄そして大勢の人達で作り歩んできたということを感じながら、その中に自分が居られたことを周囲の方々に感謝しております。
私は学生時代陸上出身で、サッカーをやった事がなく、当初はどうなる事かと思いました。躊躇したり、悩んだり、怒ったり喜んだり子供と一緒になってというか、自分が子供に近づけた。サッカーをやっていなかったらこういうことはなかったでしょう。子供達が私に与えてくれたプレゼント、子供達に、この機会に「ありがとう」を言いたい。おかげで今ではJリーグを見に行ったり社会人チームを作ったりしてサッカー大好き人間になってしまいました。その結果、仲間もたくさん出来、流山だけではなく、松戸、野田、我孫子と自分の世界が広がりました。
以前誰かに言われた事があります。育児とは子供を育てるのではなく自分が育つから、「育自」と言う。子供を通じ色々な人と知り合って自分が成長する。私はこれからも成長を続けたい。そんなステージを与えてくれたEFCにありがとう。そして10周年おめでとうございます。
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サッカーおやじとよばれて:笠間 康雄
江戸川台フットボールクラブ10周年おめでとうございます。私はコーチになってまだ1年余りですが、一昔前からクラブを育て上げてこられたスタッフ及び活動を支えてこられた父兄の皆様の努力には心より感謝申し上げます。
私とサッカーとの出会いは、中学校のサッカークラブに入った時で、東京オリンピックの翌年だと記憶しています。当時はサッカーより野球の時代でしたが、私にはサッカーがすごく「かっこいい」スポーツに映りました。中学2年頃だと思いますが、ワールドカップの映画が上映され、ペレに憧れたものでした。私の中学はグランドも広く、東京都でベスト8位でしたので、練習は厳しく、退部する人も多くいました。それでも止めなかったのは、サッカーが好きな事とつらい練習の時、互いに励ましあった仲間がいたおかげだと思っています。3年生の時にはキャプテンを務め、チームをまとめようとしたのを思い出します。その後高校にはサッカー部がなかったので、サッカー好きの仲間と活動実績を作りサッカー部を作ったりもしました。その後サッカーはあまりしていませんでしたが、子供がサッカーを始めたいと言ってきたので、昔の虫がうずきだし、今ではコーチを楽し
ませてもらっています。また、会社でもサッカーをやり、サッカーおやじと言われるほどサッカーが人生の大事な部分を占めています。サッカーとの係わりを蘇らせてくれたEFCに感謝している次第です。
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サッカーは楽しいスポーツ:石橋 弘行
10年の伝統があるEFCのコーチ陣に加えていただき、2年になろうとしています。この2年間には、子供達と同じように練習が楽しくて「日曜日が待ち遠しかったり」。また、練習が辛くて「雨が降るのを期待したり」、子供達にとってもファミコンや公園で遊んでいる方が、練習に来て怒られるよりも楽しいのでは・・・。こんなことを考えながら2年間子供達を観させていただきました。
2年前、ボールを蹴っても空振りしていた子が、力強くシュートも出来るようになりました。怒られる度に泣いていた子も、涙をこらえて走り回るようになりました。子供の成長は著しく、運動神経の発達スピードは、個人差はあるものの10歳位でほぼ確立されると言われています。遊びながらでも、低学年からサッカーをやっていることは、将来どんあスポーツをするにしても無駄な事ではないと思います。特にサッカーは、走る・止まる・スタートする・ひねる動作の連続で、総合的な体力アップに繋がっているものと思います。幼稚園、1年生の練習は、まだまだ遊びの延長で、子供達の遊びの輪の中にコーチが入れてもらっているような感覚ですが、この子達が必ず自主性に目覚め、サッカーが大好きにな
る日がくることと思います。上手くやろうとしている時には大いに誉めて、子供達の芽を摘まないように教えて行きたいと思います。
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サッカー好きになって:藤本 誠司
EFCの活動にコーチとして参加して、今年で5年目に入ります。サッカーに関しては、子供の頃に遊びでゴムボールを蹴りあったぐらいで、ルール無視のただボールを前に蹴るだけのものでした。
サッカーの経験はなくても、子供と一緒に体を動かすだけでいいから、と誘いに乗り、参加したところ子供達に馬鹿にされないように、負けられないぞ、とついついサッカーにのめり込む事になってしまいました。Jリーグというプロリーグも誕生し、子供達を取り巻く環境も急激に変化しています。誰でも参加でき、サッカーの楽しさを味わうことのできるEFCが私は好きです。子供には楽しさを知ってもらいたいと思いますが、サッカーの試合は勝負です。勝った時には大いに喜び、負けた時には涙して悔しがってほしいと思います。1試合々を悔いのないように大事に戦ってもらいたいと思います。そのためには、やはり練習が一番大事です。それも個人で毎日少しの時間でも練習する事です。そしてもう一つ、一人一人が試合に勝つイメージを持ってほしいと思います。相手があっての試合です。負けることもある、しかし全力を尽くして勝ちに行くことは大切です。そして皆がサーカーが好きになって
卒業し、また戻ってこれるようなクラブが願いです。
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江戸川台FC10周年を迎えて:小林 康憲
江戸川台FCが10周年を迎えるにあたり本当におおめでとうございます。現在の江戸川台FCに至るまでにご支援とご鞭撻を頂きました関係者の方々に感謝申し上げるとともに、江戸川台FCを支え続けている役員並びにご父兄の方々に重ねて御礼申し上げます。
私が江戸川台FC(以下EFC)のコーチとして係わりはや3年10ヶ月が経とうとしています。EFC発足10年の三分の一しかお手づだいが出来なくて立派な事を書けないのですが、私とEFCの係わりについて、また私が感じ取ったEFC若しくはEFCを通じて子供達に何を伝えようとかという事について素直な気持ちで書かせて頂きます。まず、私のコーチとしてのEFCとの係わりをお話しますと、当初、子供の送り迎えついでに自分の子供の成長ぶりをグランドの端から見学しておりましたて、当時、EFC名物三木コーチ(現転勤でアメリカ在住)のファイトあふれる熱血ぶりに刺激され、知らず知らずのうちにお手伝いするようになっていました。そんな三木コーチと1年近く一緒させて頂きましたが、三木コーチが仕事の関係で米国に転勤になってしまい、私一人が当時3年生30名程度を受け持つことになりました。いきな
り30人の子供を持った父親となったような感じで、最初は言うことを聞かせるだけで大変疲れてしまいました。まったく新任パパがいきなり子沢山になった慌てぶりと同じ心境でした。今では子供達も4年生になり、自主性を持ち、目的意識も個人々が持ち始めたように感じられます。また、コーチ陣も小田さん・円谷さん・尾澤さんがお手伝いしていただき4人体制で励んでおります。子供達に対して常に「のびのび」「目標設定+達成感」「思いやり」を主軸として、精神面で個人々が自ら成長していって欲しいと願い、コーチングさせて頂いております。このポリシーはEFCを通じて各コーチが念頭においているものと感じております。誰でもサッカーをやれば勝ちたいのは心情です。勝つ事によって学ぶ事、負けることによって学ぶ事をまずは考える必要があると感じております。短期間に試合では負け続けても、長い目で子供達を見ると今学ばないといけない精神面の方が人間形成には大切ではないかと思います。
これからもサッカーを通じて強靭な精神力を持つ子供達になる事を切に願っております。更なる今後の江戸川台FCの成長を願う次第です。
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軽い気持ちで:河原 和美
江戸川台FCの皆さん、創立10周年おめでとうございます。この10周年を迎えるにあたり、いろいろなことを思い出すでしょう。会長、監督、事務局、コーチそして父兄の皆さんの協力がなくては迎える事はなかったと思います。私がサッカーを始めることになったのは、子供に付き添って来た時に事務局の人から「一緒にどうですか」と声をかけられたのがきっかけです。最初は子供と一緒にボールを蹴っていればいいんですよと言われ、軽い気持ちで「では」と引き受けたのですが、後でできるものなのかと、不安で一杯になりました。学生時代はサッカーなんてやったことのない私、でも皆さんのやさしい協力があって、何とか今日まで続く事ができました。
子供とサッカーを初めて、いろいろな事を体験する事ができました。これからも、子供と一緒に頑張って行きたいと思いますのでよろしくお願いします。
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江戸川台FC10周年に向けて:小田 賢二
江戸川台FCが発足してから、10周年になると聞いて、私が思った事をお話します。私が江戸川台FCへコーチとして入って、まだ2年目です。
現在4年生の担当コーチとして活動していますが、子供達は目に見えて上手くなって来ています。これは江戸川台FCがしっかりしたフットボールクラブであり、1学年から6学年までの指導が良く出来ているからと言えると思います。これも江戸川台FCが発足してから先輩コーチ達がしっかりとクラブを守り、10年という長い期間を維持、活動してきたからなのででしょう。
今後も、子供達がやる気、辛抱、悔しさ、感激、そして楽しみを備え、サッカーを通じて成長してゆく事を願っています。そして大人になっても一般社会人として自覚し、恥ずかしくない人間として成長してほしいものです。
最後に私も体力が続く限り江戸川台FCに協力していきたいと思います。
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新たな船出を:円谷 満
十年一昔、当時サッカーは決してメジャーなスポーツではなかったはずです。そんな環境の中、ここまでクラブを盛り上げ維持させるためには、クラブ関係者の情熱と並々ならぬ努力、父兄の方々のご協力、そしてボランティア精神なくしては10周年達成は考えられなかったはず。
ここ数年間の間にJリーグが誕生した事により、子供達のサッカー人口も急増し、技術的にもレベルアップしている。特に小学生の場合は心身ともに成長著しい時期に来ており、その時期に応じた指導方法が要求されるでしょう。先日開かれた日立サッカースクールの指導では、「小学生の時期には楽しく練習し、サッカーに興味を持たせるように指導することが、大切」とのこと。本当にサッカーが好きで興味をもてば、、他クラブやチームメイトとの競争意識が芽生え、毎日の遊びの中にサッカーを取り入れるであろう。その中から、ボール感覚が養われ、走る、蹴る、声を出す、考えるサッカーが自然と身についてくるのではないかと思う。週一度の短い練習時間ではあるが、子供達が本当にサッカーを好きになってくれること、そして各個人の自主性を育てる事を今後の指導課題としたい。そして、我が江戸川台FCから
将来Jリーグ選手が育つ事を夢みて、さらに20周年に向け佐藤丸(会長)の新たな船出を関係者一同でバックアップして行きたいと思います。
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勝つ味を:高橋 晃
江戸川台FCのコーチを初めて、早いもので2年が過ぎました。息子が江戸川台FCにお世話になったので、コーチのお手伝いでもできればよいかなといった軽い気持ちで、参加させてもらいました。
しかし、先輩のコーチの真剣な取り組みや日々の努力を見て、生半可な気持ちでやれるものではないなと感じさせられました。実際にコーチに係わってみると、少年の成長にとおて実に有意義なスポーツであると感じられます。
サッカーはチームプレーと個人プレーの兼ね合いが、特に難しいと思いますが、徐々に身につけ始めている子供達を見ていると、きっと将来の役にたってくれる筈だと思います。
ところで、子供達は私が参加当時に比べると格段に成長していますが、特に感じる事として、試合に負けた時などでも悔しさを表に出さないところが気になります。悔しくないものに、悔しがれといっても意味がありません。どうしたら悔しくなるのか考えて見ますが、とりあえず勝つ味を覚えないと無理なのではないかと思います。
子供達が勝って喜んで、負けて悔しがって成長していけるよう、今後とも頑張ってお手伝いして行きたいと思います。
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Souvenir for
F.C.Club:シュラル・カンティ・バルワ
Dear Ladies
and Gentleman.Please convey my best greetings of happy
new year as wells our all trainer,trained and members
of F.C. of Edogawadai.I have been involving with cordially
and remembering the days which passed.I tried my best
to better teaching to trained so that they can achieve
to play in japan league,but I dont know how far I
tech them .I may be pardon if anything wrong by we
during the days with F.C.clubs.Always I tried to save
goodwill of F.C.club with good teaching to the trained.Sometimes
I had particpated with my trained in competitive gave
consequently that given me mourn or glad as a result
which I contributed for the club.It will be better
days for sympath,help of F.C.Club and I convery my
heartfelt thanks to all director of F.C.Club as well
as all members and members.Eventuate it is requested
that I may kindly be given chance to more good teaching
having a better relation.Good-bye and thanks once
again to all.Sincerely
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